友達とは?
友達ってなんなんだろうなと考えさせられる経験がたまたま連続で発生した。
最後にそのことについて考えたのは、2年前。その前は大学だったかな。
まさかアラサーにしてそんなことを考える時が来るとは。ストレートな言葉で『人に関心がない』自分のことしか興味がないと言われたが、本当にそうなのか。そもそも人間というのは、ほぼ自分にしか興味がないのでは、それは当たり前のことだと思っていた。
家族でも恋人でもなく、友達という言葉を定義するならば、私の中で、定期的に相手の行動や思想興味関心を気にしながら、相手に会いたいと思ったり一緒に喜怒哀楽を共有したりする相手のことだと思っている。
その中でも親友という存在は、更に深く、自分が人には言えないことや相談できないことを赤裸々に家族以上に知っている間柄であり、その関係性にならないと私は本音を言うことができない。
そもそも、小さい頃からの私の育った環境では、人に迷惑をかけることは恥ずかしいことであり、ネガティブな感情を外に現したりすることは、子供じみていると子供の頃から思っていた。本当に子供らしくない子供だった。
その結果、自分の悲しみや怒りに蓋をするようになり、その容量がMAXになると自分でも止められないくらい人を傷つけたりする。
特に私は人の痛みに敏感なので、その人に何を言えば傷つくかを熟知してるし、過去に何回かそれでコミュニティをめちゃくちゃにしたこともある。
ただ、私も29歳になったので、人に助けを求めることの大切さや自分の未熟さ、自分の怒りの根源は悲しみということを勉強して自分の感情とうまく向き合うようにはなれたと思っていた。
そんな中、唐突に『友達ってなに?』と言われた時に、実は自分は自分のことしか興味がなかったのか?ということや、特定の人にしか本音が言えない事でその人たちに負担を強いていたのではないかと思った。
同じ友達という名前のくくりの中でも、人によって仲の深さや、信頼性は違う。
だからこそ、なんとなく定期的に会う人と、毎日くらいの頻度で連絡を取り合う友人がいる。
以前、なにかの記事で『女の友情は生ハム一枚くらいの薄さ』という記事を読んだことがあるが、正直どうでもいい相手にはスパッと関係を断ち切れる。
自分が歳をとることによって、興味のあること、話したいこと、聞きたいことの内容が変わる。
時間の使い方も、お金の使い方も変わる。
それはきっと変化の兆候だし、付き合う人を選ばなければ自分自身も相手にも無駄な時間を過ごさせることになる。
だから、それは悪いことではなくて、違和感を与えない程度に取捨選択をしていかなければいけないと改めて実感した。
なんだか悲しいけど現実を突きつけられたそんな経験だった。
どうしてこうも男と女というだけで友情のカタチが変わるのか今度はそれを解明してみたいな。