徒然なるままに

苦しい事も辛い事もあるけどさ、やっぱり人生って楽しんだもの勝ちなのよ!!

disることは一番の愛情表現である

昨日77歳の祖母の帯同で、純烈のライブに行ってきた。

個人的には紅白に出てる、銭湯で公演を行い、60歳くらいのファンを数多く喜ばせているというイメージしかなかった。

 

さらには、日々イケてる洋楽やJ-popを聞いてる私には「ムード歌謡」という謎の音楽ジャンルを受け止めることができるか不安でさえあった。

 

ちょうど寝不足ということもあり、公演中に少し睡眠でも取ろうと思っていた私だが、まんまとその気分を覆された。

 

イメージ的には、ゆるいダンスを踊りながら昭和の歌謡曲を歌って終わりという、イメージを抱いていたのだが、とにかくマイクパフォーマンスがうまい。

 

軽快な関西弁と共に、よくある日常の話にちょうど良い毒を交えながら喋り倒す。

彼らは、ここは国際フォーラムではなく草加の銭湯だと言っていたが、まさに会場の雰囲気は銭湯そのものだった。

 

そう、圧倒的に距離が近いのだ。

だいたいその日の収容人数は1500人くらいだったのだが1階席2階席だけではなく3階席までも彼らは丁寧にファンサービスをしてくれる。

 

特に印象的だったのは、高年齢のおばさまいじりが半端ない。

 

もう墓に入れとか、あなたの財布を狙ってますとか、とにかくファンへのdisりが半端ないのだ。しかし、会場は冷めることなく、むしろ大盛り上がりなのである。

個人的にはすごく不思議な経験だった。

 

私が直近で見てきた安室奈美恵や三代目JSBではありえない光景である。

 

一般的にライブとは、パフォーマーと観客の立場が明確で、完成度の高い演出や歌やダンスを見ながら神様みたいなアイドルを崇めるようなスタイルを想像するのだが、彼らのパフォーマンスは双方向のコミュニケーションそのものなのである。

 

片っ端からファンにツッコミを入れまくり、自分たちをdisりまくり、いわば昔流行ったきみまろ的コミュニケーションをとるのだ。

 

きっとこれは、若い層の20代30代にやったら、プライドが高いのでなんで、こんなじじいにこんなこと言われなきゃならないんだとなるが、メインターゲットは育児が落ち着き、生きる希望を失いかけているパワーがあり余った60代以上のおばさま達である。

 

人生の酸いもあまいも知り尽くした彼女達にとっては、そんなコミュニケーションが心地いいのか。

むしろ20代の私でさえも、そのdisりを通して彼らとファンの間の愛情をすごく感じた。

 

このことを通勤の電車で考えていたところパッと「AKBの指原」が思い浮かんだ。

彼女もdisりの天才だ。

 

AKBという、そこそこの美少女軍団の中で、不動の一位を確率している彼女は、最近は、突貫工事で美を追求しているが、デビュー当初やあの事件があったときは、お世辞にも美少女とは言えなかった。しかし、彼女は類を見ないAKB総選挙3冠を達成し、おそらく今でもAKBグループの生きるレジェンドとして、その地位を確立しているのではないか。

 

一時期、中国の富裕層が彼女の大ファンでCDを買いまくっているという噂が2ちゃんねるで流れたが、それにしたって限度がある。

 

彼女のバラエティー出演を見ていると、彼女もdisりの天才だと思う節が幾度かある。

 

そうだ、よくよく考えてみれば、スナックのママだって、MCとして大成功を収めているさんまさんだってみんなdisりの天才なのだ。

 

ちょっと顔が整ってて、歌のうまい普通おじさん達が、普通に歌を歌っても何も面白くない。

 

近い距離で触れることができて、でもステージではかっこよくて、歌もうまい。そんな彼らのスタイルに多くのおばさま達は夢中になっているのだ。

 

そして、2009年にデビューした彼らも10年目にしてやっと紅白に出れた。

 

気になって昨日の夜に純烈のことを色々調べて見たら、売れない時代も「依頼があったらとにかくその仕事をやる切る。ただそれだけを徹底してきた」と言っていた。

 

小さいワゴン一つに中年のおじさん達が缶詰のように詰め込まれ、全国津々浦々の銭湯を練り歩く。

 

そんなハードな環境下の中、老体に鞭を打ちながらダンスや歌をやり切る彼らを見て、ギリギリ20代の私でさえもファンになりそうになった。

 

やっぱり芸能界はすごく奥が深いし、秋元康は天才だなと思ったそんな経験だった。

 

私も愛の伝わるdisりを習得したいものだ。

 

ちなみに、私はまだまだ綺麗で若くてピチピチの男の子が好きである。

しかし、もう少し彼らの活躍を追ってみたいと思ったそんな経験だった。

インプットがなければアウトプットができない

SHOWROOMの前田さんシリーズw

前田さんの名言の中で非常に感銘を受けた名言がある。

 

「インプットの量が落ちると、アウトプットのときのモチベーションも下がってしまうから」

 

最近英語を勉強しようと思っている私にとってはすごくビビットくる言葉だ。

今の会社では、1月から外資系の会社に買収されて、社内の制度で「英会話スクール」に通うお金を「10万円」補助しますという制度がある。

 

しかしそれは期限付きで、社内にいる8割が「なんとなくみんなもやっているから」という理由で「英会話スクール」に通い始めた。

 

しかし、私は英会話スクールに通うという選択肢は取らなかった。

理由は二つある。

 

一つめは、自分にはまだ業務上英語は必要ないと思ったから。

二つめは、みんながやっているから私もやるという超単純思考に陥りたくないからだ。

 

正直、英語には苦手意識がある。そもそも今までちゃんと勉強してこなかったし、むしろ自分が英語を使うような仕事につく予定もないし選択肢もとってこなかった。

 

なぜなら、私は日本人だからだ(笑)

いかにも島国DNAが根付いている発言だが、こと私が学生時代の感覚では、2019年、銀座にいる人口の半分以上が外国人であることや、一蘭がNYで大人気の食べ物になり、常に行列が絶えないようになるなんて、到底予想していなかったし、そもそも英語の必要性なんて日常で一ミリも感じたことがなかった。

 

さらにいうと、無思考で30万円の契約をして、「目的」もなく、なんとなく英会話スクール通っている人たちをむしろ軽蔑していた(羨ましい気持ちもあったことは秘密)

 

しかし、今の私には英語を学びたい理由が2つある。

一つは、もうすぐ東京オリンピックが始まる。

二つ目は、今の会社でNYに転勤したいからだ。

 

気づいたらもう東京オリンピックだし、いろんな外国人が日本に遊びに来るんだったらこの機会に日常会話くらいは話せるようになった方が何かトラブルになった時や、街角で話しかけられた時に、英語が武器になる。

 

そして二つ目は、単純にやりたいことはないが(笑)NYCで働くってなんかかっこいいし、SATCみたいな世界に憧れる。正直、買収先の会社は世界を代表する大企業であり、社員は千人どころか1万を超える会社規模である。そんな会社に入れたということは、チャンスが無限に転がっている。

 

正直私はビジネスマンとしてはそこそこ優秀な自負がある。(笑)

 

なので、あとは英語だけ身につければ最強じゃん?みたいな本当に浅はかな理由だ。

 

でも、正直人間なんてキレイゴトを並べても結局は、「給与が高い」とか、「残業時間が少ない」とか、「綺麗なオフィスで働きたい」とかそんな浅はかな感情の部分が積み重なって、物事を選択している。

 

だから、人事面談の時にしっかり自己PRができるようになりたいし、NYCに行った時に日常で使えるくらいの英語レベルが欲しいというのが正直な願望だ。

 

そして、題名に戻るが、インプットがなければアウトプットができない。

 

つまり何が言いたいかというと、英語レベルがほぼゼロ。むしろマイナスくらいの私にとっては、今はとにかくインプットをするための時期だと思っている。

 

ちょうど6月から始業時間も変わるわけだし、毎日1時間以上は英語の勉強に時間を費やすことができるはずだ。

 

なので、最近インターネットとYOUTUBEで検索した効果的な「喋れる勉強法」を整理する目的で書き残しておこうと思う。

 

まずは目的を明確にする。

 

意義的目標と、定量的な目標、最後に行動目標をたてる。

意義的というのは、私の場合、NYCで働けるような英語レベルを身につけて、NYCで働くということだ。

 

そして、定量的目標は

TOIECで700点をとる、英語で30分以上トークをできるようになる。

 

そして、最後に行動目標。

毎日英語アプリの問題を1セット以上解く、単語帳を1週間に1週以上回し読みする。

 

これがいわゆるOKRというやつだ。

 

そして、何よりも、TOIECで700点をとることと、英語で30分以上会話ができるようになることは全く別の定量的課題である。

 

TOIECの場合は、「知識」

英会話の場合は「技術」

 

そして、全く英語が喋れなかったYouTuber曰く、

喋れる英語を覚えるには、下記が効果的とのこと。

聞く話す読む書く


【ネイティブが使う日常英会話】都合えぇな〜!


短期間で英語がぺらぺらになる6つの英語勉強方法!(英会話編)

 

そして、TOIECで900点をとったYoutuber的には下記が重要とのこと。

 

 

1:単語を復習する

2:英語から日本語

3:本に書き込みする

4:TOIECは時間との勝負


【金のフレーズ】短期間スコアUP間違いなし!980点とった「正しい単語帳の使い方」

 

 

あとは、なによりも自分をやらなきゃいけない環境下に置くことだ。

9月にTOIECを受ける予約をする。

DMM英会話を始めること。

周囲に私NYCに転勤したい!英語勉強し始めたと宣言することだ。

 

これができれば、結果的にはやらなきゃいけない状況に追い込まれる。

 

大学時代に受けたTOIECのスコアは195

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ええ、最下層中の最下層ですわ。

むしろ4択なんだから25%は取れるはずなのにと突っ込まれたが、そんな私がやるからこそ価値があると思っている。

 

楽しみしててくれい!

現代におけるコミュニティ論

2年くらい前からホリエモンキングコング西野さんが「コミュニティ論」というものを提唱し始めた。

 

正直私は意識が高すぎるのと、独特の偉そう感があってその時は、ごく一部の意識高い奴らがなんか言ってるよくらいに思っていたが、最近、前田さんの本を読んで改めて「コミュニティ論」に興味を持ち始めた。

 

そのきっかけは、2年前からはまっている、志尊淳と岩ちゃんの推し活動と、直近でスナックのママにスカウトされたところから始まっている。

 

そして、彼らの提唱するコミュニティ論とは、下記のブログにまとめられている。

https://minohen.com/n/nd5b859ca4a92

 

引用すると、「これからの時代、コミュニティが重要」というのは大前提。その中でコミュニティリーダーに求められる資質は、フェーズに応じた課題設定能力だと言います。

 

ちなみに、前田さんが作ったSHOWROOMというサービスは、コミュニティ論を芸能やメディアに合わせて転換させたビジネスモデルだと感じている。

 

自分のフェーズに合わせてコミュニティを作り、密接な関係性、娯楽、感情を共有できるのは、人と人との関係性が希薄化になった現代で非常に大きなビジネスチャンスがある考え方だと思う。

 

それこそ24歳くらいの時に参加した「ちゅうつねサロン」や最近まで所属していた「渡部サロン」など共通の趣味や、目標、目的がある人たちが集まると、すぐに仲良くなれるし、時にすごく大きい力を生み出し、とてつもないことを成し遂げたりする。

 

いわばそれが、クラウドファンディングの原型でありスタートであると私は考えている。誰かの心を大きく動かした結果、応援という形で対価をいただくことができる。これは、労働対価ではなく、自分の夢の実現や誰かを応援するための支援であり投資という概念を生み出すことができる。

 

営業をしていてよく思うのは、人は本当に必要なものだけを買っている訳ではない。

例えばコンビニのレジ横のスイーツも、流行的なファッションも、本当に必要と思って買っている訳ではない。保険の営業をやっているときに思ったのは、人は感情で物事を決断する生き物だということだ。

 

特に保険という商材は、「無形、未来財、自分に直結して効果がある訳ではない」この3つの要素が組み合わさっている商材は営業業界の中でも販売することが非常に難しい商材と言われている。

 

まさに、「人の心を動かすこと」が重要とされている商材であり、そのような難しい商材を扱い、成功することはある意味最高峰の成功と呼ばれていた。

 

特に消費活動と、メディアに関しての取り締まりが厳しくなり、スマホを通して様々な娯楽が楽しめる現代に置いてはコミュニティサロンを成功させることや、自分なりのコミュニティを作り収益をあげれることは、すごく価値がある。

 

5月以降、本格的にスナックのママ案件が進みそうなので、最近は、どのような集客をするかや売り上げをあげる戦略を仮想状態で考えながら非常にワクワクしているが、スナックもまさに「超濃厚コミュニティ」な訳で、同じ地域にあるスナックの中でどのように差別化を測るかが今の一番の課題であり楽しみなのである。

 

下北沢のシェアハウスに住んでいる時、すごくビジネスをやるのが好きな子が「コミュニティ論」を話しててすごく参考になったけどまたインタビューでもしようかな。

 

とにかく今は、勉強を色々してアウトプットしたい気持ちだ。

友達とは?

友達ってなんなんだろうなと考えさせられる経験がたまたま連続で発生した。

 

最後にそのことについて考えたのは、2年前。その前は大学だったかな。

 

まさかアラサーにしてそんなことを考える時が来るとは。ストレートな言葉で『人に関心がない』自分のことしか興味がないと言われたが、本当にそうなのか。そもそも人間というのは、ほぼ自分にしか興味がないのでは、それは当たり前のことだと思っていた。

 

家族でも恋人でもなく、友達という言葉を定義するならば、私の中で、定期的に相手の行動や思想興味関心を気にしながら、相手に会いたいと思ったり一緒に喜怒哀楽を共有したりする相手のことだと思っている。

 

その中でも親友という存在は、更に深く、自分が人には言えないことや相談できないことを赤裸々に家族以上に知っている間柄であり、その関係性にならないと私は本音を言うことができない。

 

そもそも、小さい頃からの私の育った環境では、人に迷惑をかけることは恥ずかしいことであり、ネガティブな感情を外に現したりすることは、子供じみていると子供の頃から思っていた。本当に子供らしくない子供だった。

 

その結果、自分の悲しみや怒りに蓋をするようになり、その容量がMAXになると自分でも止められないくらい人を傷つけたりする。

 

特に私は人の痛みに敏感なので、その人に何を言えば傷つくかを熟知してるし、過去に何回かそれでコミュニティをめちゃくちゃにしたこともある。

 

 

ただ、私も29歳になったので、人に助けを求めることの大切さや自分の未熟さ、自分の怒りの根源は悲しみということを勉強して自分の感情とうまく向き合うようにはなれたと思っていた。

 

そんな中、唐突に『友達ってなに?』と言われた時に、実は自分は自分のことしか興味がなかったのか?ということや、特定の人にしか本音が言えない事でその人たちに負担を強いていたのではないかと思った。

 

同じ友達という名前のくくりの中でも、人によって仲の深さや、信頼性は違う。

 

だからこそ、なんとなく定期的に会う人と、毎日くらいの頻度で連絡を取り合う友人がいる。

 

以前、なにかの記事で『女の友情は生ハム一枚くらいの薄さ』という記事を読んだことがあるが、正直どうでもいい相手にはスパッと関係を断ち切れる。

 

自分が歳をとることによって、興味のあること、話したいこと、聞きたいことの内容が変わる。

時間の使い方も、お金の使い方も変わる。

 

それはきっと変化の兆候だし、付き合う人を選ばなければ自分自身も相手にも無駄な時間を過ごさせることになる。

 

だから、それは悪いことではなくて、違和感を与えない程度に取捨選択をしていかなければいけないと改めて実感した。

 

なんだか悲しいけど現実を突きつけられたそんな経験だった。

 

どうしてこうも男と女というだけで友情のカタチが変わるのか今度はそれを解明してみたいな。

 

天職について〜後編〜

3社目との出会いは、突然の電話から始まった。

「大学の先輩の○○さんから、お仕事ですごく活躍されているという話を聞いて電話しました。」スカウトの電話だった。

 

しかも自分が就職活動の時に、神の領域だと思っていた会社からまさかこんな電話が来るなんて思ってもみなかった。正直、その当時は仕事もマンネリ化しており何か現状を打破したいと思っている時だったので、保険には興味なかったし、どんな感じなんだろうという単純な興味で話を聞きに行った。

 

最初は、支社長と呼ばれるリクルーターとの面談だった。

渋谷のロクシタンカフェで打ち合わせをして、仕事についての質問をされた。

「今の仕事は楽しいですか?」「どんな目標を掲げているんですか?」そんな話から、色々話をして、「今度トップの営業マンが集まるセミナーがあるんだけどきて見ないかと言われて、「まあ、もう少し違う業界で成果を出している人たちと人脈を広げて見てもいいかな」と思い、参加してみることにした。

 

2回目の面談は、会社にセミナーを受けにいくというものだった。

飯田橋の駅から少し歩いた、築20年は立っているだろうという古いビルの10階にあり、看板すらなかった。

 

会社の入り口に入ると、白い蛍光灯が眩しく、大きく3つの島に別れた机が置いてある執務室に通された。扉を開けた瞬間大きな声で「いらっしゃいませ」という挨拶、部屋には様々なトロフィーや写真が飾られていた。まさに営業会社にきたという印象だった。

 

セミナーを受けるために一番奥の部屋に通された。

 

室内には机と大きいホワイトボード、大画面のテレビがあり、壁には「がんばっても、がんばらなくても、変わらない人生ではがんばれない。」みたいなポスターが貼ってあって、なんか宗教に勧誘されているのかってビクビクしていた。

 

一方で、どんな時間が始まるのかと胸を踊らせていた。

 

 入ってきた支社長はすごい圧力で、2時間みっちり「働くこと」について1対1の講義が行われた。それを見た私は、すごく感動した。詳細な内容はもう忘れてしまったが、大企業に飼いならされ歯車となった優秀な人たちはきっと響く内容だったのではないかと思った。

 

結果、それは3社目の一次面接だということを後から知った(笑)

 

何回も時間を重ね、彼らの会社の考えや働き方を聞くうちに私もこの会社で働きたいチャレンジして見たいという気持ちが湧いた。

 

そしてトントンと選考は進み、地獄の最終面接を終え、あっという間に入社が決まった。

 

辞めるまでには色々な人から驚かれたし、退職を告げるまでには会社名も伏せなければいけないという約束もあったので、非常に退職に時間がかかったが、合わせて自分の価値を感じることができた。

 

そして年が明けた1月、赤坂本社での入社式が行われた。

その後、研修センターにバスで移動し、本当に新卒入社のような待遇を受けた。

 

私の同期は約130名。研修では、全員分の内定者リストが渡され前職の社歴などをみると錚々たる会社の名前が羅列されていた。

 

おそらく新卒の働きたい企業ランキングTOP10の会社は全部網羅されているのではないかというくらい、全国から優秀な人材が集められていることがわかって、さらにやる気がみなぎった。

 

2時間の研修が終わると一人一人130名の前で、2年後の自分の目標についての、プレゼンさせられる。その際には、担当の所長もきてくれるので、いわば授業参観で夢を語る的な気分にさせられるのだ。

 

入社式と二日間にわたる研修が終わると、今度は、会社に戻り1ヶ月の詰め込み研修が始まった。

 

3社目の会社は、働くことの意義や、憧れていたフリーランスでの働き方、無形商材の販売の仕方や、人の心の動かし方などを学んだが、やはりTOPの中で生き抜くのは難しく一年くらいで、代理店から声がかかり転職をした。

 

そして、4社目との出会いは、異業種交流会で出会った人からの紹介だった。3社目の会社で売れなくなった営業マンが行き着く先だった。保険業というのは、一般的に平均年齢が、元々すごく高いので、50代や60代のおじさんおばさんがゴロゴロいる会社だったが、この会社では、正直学んだことは保険商材の知識と、厳しい保険業界の現状だった。

 

正直ここまでくると、自分の「働く意欲」は底まで下がっており。

WantもCanもMustも考えることを忘れて、毎日嫌だなと思う日々が続いていた。

やっぱり私は自分の興味のあることとと自分がしたい働き方でなければ、生き生きと働くことはできないと実感したのだ。

 

そして5社目の出会い。

前みたいに生き生き働きたいと思っていた私は、30歳を目前に、最後のチャンスを掴み取ろうとベンチャー企業に特化した就活メディアを探し始めた。

 

そして、最初に紹介してもらったのは、5社目の会社だった。

 

正直、法学部を卒業したこともないし、弁護士への知識はドラマくらいでしか知らなかった。しかし、幸いなことに、1社目や2社目のキャリアが私を手助けしてくれて、見事に内定を取ることができた。

 

5社目の会社は、今までの人生の中で、もっとも辛い状況だった。

「妬み嫉み」の塊みたいな人たちと仕事をするのは非常にメンタルがやられたし、幸いなのは、今でも付き合いのある友人に出会えたことだ。

 

ただ、一度保険業界に足を踏み入れた私には、一回キャリアをリセットしなければいけない必要性があったので、もう一度IT業界に戻ってこれたのは不幸中の幸いだったと思う。

 

特に辛かったのは直属の上司からの嫉妬と、腐った組織だった。各メンバーは保守的で村みたいな組織。そして、私も馴染めず苦しい日々が続いた。ここでは、正直ちょっとした弁護士の知識がついたくらいであまりメリットがなかったが、そんなタイミングで今の会社からの声がかかった。

 

今の会社のサービスは正直「名前をちょっと聞いたことあるな」くらいな感じで2社目の先輩から「話だけでも聞いてみてほしいな」と言われて半信半疑で社長に会いに行ったのだ。

 

今に到るまで様々な苦しみはあったものの、本当に過去の自分の人当たりの良さに感謝したい。

 

2社目の時に頑張っていた成果や徳を積んだことが見初められて、今の会社への扉がひらけたからだ。

 

そして、何よりも今までの自分のパラレルなキャリアは、結果的に点であったが今では線となった。

 

今の会社はWant、Must、Canの3つが重なっている。

様々な苦悩はあったものの、最近は「しなければいけないこと」よりも「したいこと」を考えられるくらいになった。

 

6社目で一番大変だったのは、2社目とやっていることは同じように見えるが圧倒的な、「知識量」が違うことだった。

 

営業的なスキルの部分は長けていても、その「知識量」がないことにより、認められないことだった。

 

正直、今の私の目線からすると同じ飲食業界で仕事をしているのは一緒だが、トップ1%の店とそれ以下の店では大きく「課題」が違うということだ。

 

また、情報のキャッチアップのスピードや実際の店舗間の関係性など自分自身が市場にしっかりと腰をすえていないと得られない情報が多い。

 

そういったことを興味を持ちながら、実際にそういった店に足を運び学ぶことも多かった。

 

紹介をもらったり、獲得していくことが非常に重要で、今まで新規開拓をバンバンやっていた時とはまた違う苦しみがあったが、営業としては、非常に成長できるきっかけとなった。

 

中でもアクアに買収されてからはさらに付加価値と言うものを考えるようになった。

 

一般的に強みというのは相対的なものだが、

組織の中で価値を提供していくには一つの強みだけではなく何かしらの要素を2つ以上掛け合わせてはじめて、価値を提供できるようになることが必要と言われている。

 

例えば私の場合であれば

一社目で養った、マーケティング分析力×新規開拓営業で養った営業力

さらには、人に物事を教えたり情報をわかりやすくするための伝達力の3つで構成されているとおもっている。

 

このように自分の強みを詳細に分析し、他者と違う点を網羅的に分析していくことが非常に重要である。

 

さらに私の場合は、今までの6社の経験が全てこの中に集約されている。

 

正直、数年前までは、ただのジョブホッパー止まりで必要とされなくなったらどうしようと思っていたが、みごとに自分の中で過去の経験が紐付き、今の会社の職務を全うできるようになったことを感じる。

 

30歳を目前にしてこのような整理ができたことは非常に価値があるし、何よりも自分のキャリアに自信を持てるようになったのは、今までの自分の苦労もそうだが、6社経験してきた中で出会ってきた様々な働き方や人、会社の規模ごとのカルチャーなどを見てきたからだと思う。

 

それこそがまさに自分をカタチ作る、強みであり、自分の天職に出会えたと言える、何よりの根拠である。

 

ここ数年そんなことをじわじわと考えていたので今回ちゃんと棚卸しすることができて本当によかったと思っている。

天職について〜前編〜

最近「天職」について

ネットの記事を見て思ったことがある。

 

実は私は今、「天職についているのではないか?」ということだ。

 

私は20代にして、計6社の会社を渡り歩いているいわゆジョブホッパーなのである。

ちなみに私が見た天職の記事は、新卒時代研修終わりの私がmixiにこっそり記載している内容だったのでこの機会に紹介したいと思う。

 

 引用:mixiの日記より

たまたま参加した読書会で
作者の方が言っていた言葉。

本当の人脈とは
自分がその人のために何かしてあげられる関係ということ。

社会人二年目のぺーぺーが
何をいってるんだ。

自分でもすごくおこがましいと
思いながらも、その言葉がすごく胸に残っている。

 

私の会社の社長がよくいうことは、
価値交換をするんだったら
どんな価値をあなたは見出せますか?

Want したいこと
Must しなければいけないこと
Can できること

この三つの円がバランスよく重なるとき
人の幸せは最大化するんぢゃないかと
考えていたりする。

wantがありすぎても
canがありすぎても
mustがなくても

きっと楽しくないんだろうな~って。

 

そう。

このWantとMustとCanが非常に大事だということだ。

ちなみに今までの職種でいうと

1社目 インターネット広告代理店 ストプラ

2社目 グルメ系ITメディア 新規営業

3社目 外資系金融機関 新規営業

4社目 保険代理店 新規営業

5社目 弁護士系ITメディア 新規営業

6社目 イマココ 新規営業

 

せっかくなので、今までの経歴をざっくりと振り返りたいと思う。

 

1社目:インターネット広告代理店

とにかく社会人に必要な基礎能力を徹底的に習得できた。

主に業務の効率化とエクセルの活用、パワポの活用などなど

正直、入社当初は「一番最初に内定出たしいっか。入りたかった広告代理店の系列会社だし、そこそこ実力発揮して出向からの転職しちゃえば〜」くらいに思っていた。

 

実際入社してみて思ったことは、

まじで内定者が優秀すぎてアルバイトだけで養ってきたコミュ力なんて全然役に立たなくて毎日コンプレックスとエクセルとの戦いだった。

 

そりゃFランクの大学卒の私が東大とか慶應とかのやつに勝てるわけねえわと思いながらも、出向先の子会社のMGRには本当にたくさんの事を教わったし、今でもそのMGRを超える存在はいない神様みたいな人だった。

しかも本社に戻ってから、出向先のありがたみを感じた。

 

今でも忘れない社会人二年目の夏。某ネット保険企業の案件を担当した時、本当にキャパオーバーになって、直属の上司も半分鬱みたいな状態で、掲載開始の前日に徹夜して入稿準備、朝の4時くらいに二人で会社近くの神社の境内に登り、カップラーメンをすすりながら、「絶対このPJTが終わったら会社やめて転職しようね」と話した日を。

 

それでも、その時の経験は

今の私のビジネス基礎を作ってくれた大切な思い出なので本当に感謝しているし、同じ同期の子たちはデジタルマーケティング領域において誰もが知っている超有名企業のマーケ担当をしているのですごいなあと思っている。

 

2社目の会社では「営業」の基礎を徹底的に教わったキラキラ期。

 

転職したきっかけはちょっとした興味から始まった。

1社目の時に、唯一、外に出れるきっかけは、たまの訪問とランチだけだった。

そんな私にとって、平日のランチは特別な思い入れがあった。残業はめちゃめちゃ多いものの、ランチに関しては寛容だったので、2時間休憩をとっても良い環境だった。

食べログを駆使しながらいかに1000円以内で美味しいランチを食べるかが私の原動力だった。その頃から私にとって食べログは大きな存在だった。

そして、1社目の忘れられない思い出の後少し転職活動でもしてみようかと思い、2社目の会社に出会った。正直自分の転職市場での価値を知りたい気持ちもあったし、ちょっと興味くらいで考えていた。

 

漠然とリクルートの営業になりたいと大学生のアルバイト時代に思ったことがある。

飲食店というのは私にとっては非常にみじかな存在だった。さらにリクルートという箔が付くと私にとっては興味津々だったのである。

 

そしていよいよ面接ということで、3回面接を受けて内定がでた。

一人目は、「現場のMGR(営業の師匠)」、二人目は「事業部長」、三人目は「人事」

今でも覚えている言葉がある。

 

事業部長と面接した時に「なんでここで働きたいと思ったの?」と言われた時に、私特有の意識高い系の発言をしたのだが、まあそこそこ人を見てきている、事業部長から強烈なツッコミが入った(笑)

 

色々、理由を並べているうちにスパッとでた言葉が「私、食べるのすごく好きなんですよね(照)」と言う言葉だ。

 

その時だ、キリッとした顔の事業部長の顔が微笑んだ。

 

「そう、そういう言葉が聞きたかったんだよ。なんかさ〜、色々難しいことじゃなくてもっとシンプルだと思うんだよね。」と言われた瞬間、体にびびっと電気が走ったのを今でも覚えている。

 

そして、2社目では、すごく充実した毎日を送っていた。

初めてのテレアポ、初めての訪問、初めての受注。

自分の愛着のあるサービスの営業マンとして、「誇り」を持って働くことができる毎日は、本当にキラキラしており、尊敬する先輩たちの営業手法を色々勉強しながら、営業としての初月、長く働いているメンバーを追い抜いて、一位になった。

その時の感動を、私はまだ覚えている。大きく画面に自分の写真とランキング形式で自分の名前が、他の営業マンの一番先頭にある。

 

200人がギュウギュウ詰めの、ピンっとした空気感の室内で、自分の名前が呼ばれて表彰される。人生で初めて仕事で認められた瞬間だと思った。

 

何よりも嬉しかったのは。自分が営業の師匠と崇めていた当時のMGRにコメントを読んでもらったことだ。

 

あの時の毎日は、本当に楽しくてまさか自分が2年足らずで、また転職するなんて本当に信じられなかった。

 

そして、そんな充実した毎日を送っている中で、1本の電話から3社目の会社との出会いは始まった。

ポジティブなパワーの源

前田裕ニさんの『人生の勝算』を見て思った事がある。

 

自分の育った環境や自分の大切にしている価値観にすごく近い人だと言うことだ。

こんなことを言ったらおこがましかもしれないが自分にすごく似ている価値観を持っている人だと思った。

 

小さな頃、母親を早くに亡くした前田さんは本当に努力家だし向上心が高い。人それぞれ事業や生き方に対しての姿勢は違うが、プルデンシャルに入った時も、身近に死を体験している人の凄さを実感したことを思い出した。

 

あと。最近スナックのママにスカウトされたんだけどたまたま前田さんの本にもスナックはなぜ潰れないか、からのスナックのコミュニティ理論みたいな話が書いてあったのでそれも気が向いたら描きたいな。

 

話を戻すが、彼と私の共通点といえば

育った環境が完璧ではなかったこと、人に優しくしたり徳を積むことに価値をおいていること、当たり前の事をやり続ける大切さを実感してること、人の動機を探ることでその人の本質を理解すること

 

多分、私の場合は就職活動の時に読んだ200冊くらいのビジネス書から抜き出した自分に合う捉え方や思想を今でも大切にしているだけなのでそれを体現してきたのが前田さんという認識だ。

 

新卒の頃に、就職活動を早めに始めた私はとにかく本を読んだ。今まで自分が出会ったことのないすごい人の考え方や生きる術を短時間に習得できる本という媒体は私にとってかけがえない自分との対話だった。

 

読めば読むほど、頭のいい人たちはこんな考え方をしてるのかとか、苦しんでる人もいるんだとか、最初から恵まれた環境にいたわけではないとか色々学びがあった。

 

特に今回前田さんの本を読んで心が動いたのは、恵まれない環境に育ったとしてもその悔しさをバネにして、後天的に努力した人が報われる世界観をつくりたいと考えている部分である。

 

小さい頃からいい意味で大人にたくさん囲まれた生活をしていたので保育園の時はIQが180くらいあったと祖母に話を聞いたことがある。

正直自分が興味のない分野の勉強は嫌いだが、勉強というのは勉強の仕方を教わる事により大幅に偏差値が上がると思う。その機会を自分から得られなかった事は残念だけど、そんな環境のおかげで人よりもちょっと努力をすれば差別化できるということを学んだ気がする。

 

唯一、私と前田さんの違いは、物事を深く考える深度と、より、逆境を覆したいと思う欲求の強さが私の方が弱いだけだ。それだけと思うかも知れないがその小さな積み重ねがほんとに後から大きな差となる。

 

なんかとんでもなくおこがましいことを書いているが、本を読んでいる中で何回も鳥肌がたった。これはきっと直感的に共通項を見つけた時のそう、これこれ、私もそう思ってたんだよって感情を体を通して感じたからだ。

 

ただ、最終的に私の中で人生のコンパスはまだ定まっていない。特に、毎年コロコロやりたいことが変わる私にとっては、そんな頑張って自己分析しても、どうせやりたいことは変わるから無駄だなと胡座をかいている性格なので、次はメモの魔力を買って久しぶりに自己分析をしてみようかなと思った。

 

自己内省をする時間は改めて今の自分に必要であり、なにかをやりたいというポジティブなパワーは自分の中にしか隠れていないからだ。