徒然なるままに

苦しい事も辛い事もあるけどさ、やっぱり人生って楽しんだもの勝ちなのよ!!

久しぶりに更新

noteの方は最近身バレしてきたので

こっそりこちらで更新。笑

 

 

最近思うのは人生はあっという間だ。

離婚してからの期間が私の中では一つ大きなターニングポイントである。

 

新たな出逢いを求め続けて今回勉強になったことがある。

人間はやっぱり中身なのかなと。

 

いい訳するわけではないが、占い師に言われた。

私は落ち着いていてそこそこお金持ちの男性と結婚するよって。

去年の11月くらいから東京大神宮に毎月通って、1月に京都で縁切りツアーして

それなりに活動してきた結果、2月からずっとデートを重ねた人とこの度付き合うことになりなんだかあっという間の2ヶ月だったな。

 

告白された時に、遅いって言ったら大切にしてるってことだよって言われて

なんかこう心をぎゅっと掴まれた気がした。

 

久しぶりにコトバでしっかり表現してくれるとなんかすごく嬉しかったんだよね。

 

あった瞬間に、可愛いねとか好きだよって言ってくる人もいるけど

本当に一歩一歩距離を縮めてくれて大切にしてくれているのがすごく伝わるから

その気持ちに答えたいって思う。

 

うわべだけのコトバじゃなくて気持ちが伴っていることばこんなに嬉しいんだって。

心にたくさん栄養をもらった気分だ。

 

「許せない」感情の根源

最近すごく嫌いな上司がいる。

感情的で、仕事ができない。仕事ができない上に人に命令したり偉そうにしたり、部下の成果をぶんどって自分が評価されようとしている。

 

そういう人間をみたのは初めてだし、過去にも最悪な上司に何度か遭遇したことはあるが、はっきりいうと6回転職した中でも最低中の最低だ。

 

私は、その上司がすごく許せない。

なぜなら自分が、絶対にこれはやってはいけない、こんなことする人は人間としておかしいと、自分が今まで自分に問いかけてきた呪いをそのまま体現するような人だからだ。

 

私は、昔から自分の尊敬できるかできないかというシンプルな思考だけで人を精査してきた。

 

この人は自分にとって価値のある人

この人は自分にとって価値のない人

そうやって打算的に人を選び人間関係を構築してきた。

 

それは、究極の自分への呪いということも知らずに。

よくよく考えてみると、人に対して価値を求めるということは、無意識の中に自分に対しても同じことを求めるということだ。

完璧でならなければいけない。

失敗してはいけない。

かっこ良くなければいけない。

 

人は、自分の鏡だ。

だから目の前にいる人が自分のかけてきた呪いを実行できないとすごく腹がたつし、怒りの感情でいっぱいになる。

 

自分が作ってきた「正義」を振りかざすことによって

より自分を苦しめる。

 

だから「許せない」。

自分が今まで努力してきたり苦しんで無理をしてきたことを自分自身は一番みているし、その頑張ってきた自分を正当化したいと思っている。

 

だから、頑張らない人や余裕をかましている人をみると自然に腹がたつ。

「かっこつけてるんじゃねえよ」って。

 

 

でも、それは自分のことばかりに視点が向いていて、周りが見えておらず「もっと自分を評価して欲しい」「もっと自分を褒めて欲しい」という気持ちの反動だ。

だから許せない。

 

「こんなに私が頑張っているのに、どうしてわかってくれないの?」と心の中で叫んでも誰も気づいてくれない。

 

「どうして頑張り続けなきゃいけないの、私だって楽になりたいよ」と思っても過去の自分の呪いが自分を縛り続ける。

 

この思考の繰り返しに人は苦しみ、自分の嫌なところをたくさんみなければいけなくなってしまう。

 

だから私は決めた。

もう自分を「許す」ために、人を「許す」ことを。

 

できなくたっていいじゃないか。

完璧じゃなくたって価値はあると。

 

昔から群れることが嫌いだったし、「私は特別な人間である」という自負があった。それなりに苦労もしてきたし、人一倍いろんな人にも触れてきた。

 

でも気づかなかった。そんな自分が一番自分を苦しめていることを。

 

「許せない」という感情を持っている限り

自分は自分を「許せていない」ということを。

 

言葉にできない苦しみを。

 

「自分を幸せにできない人は、人を幸せにできない」という言葉の意味がやっとわかった気がする。

 

だから、自分を許すために、他人を許そうと思う。

 

最近、こうやって文字に起こすことによって見えてきた感情や浄化できる感情が増えた。本当にありがたいことだ。

 

私は人に伝えることが好きだ。だからこれを読んでくれた誰かが一人でも、自分の呪いから楽になれたら嬉しいなって思う。

 

わたし的ストレス社会との向き合い方

まだまだ自分が未熟だと思わされることが続く。

 

最近すごく怒りっぽいな〜って思う時が増えた気がする。

 

怒りは悲しみであるというが、なかなかその悲しみの感情すらも素直に受け入れられない時が多い。

 

直近の出来事でいうと仕事面で、他の人が解決すればいいことをなぜかお願いされて、代わりに依頼をした相手とうまくコミュニケーションがとれず、無駄なコミュニケーションとストレスを感じなければいけない時だったり、住んでいるシェアハウスで、トイレが詰まってて、それを発見したら、なぜか私が入っている火災保険を使って修理を依頼しなければいけなくなったことだ。

 

こういう時になんで私が?と思うことが多々ある。

 

これって何が悲しくて怒っているんだろう。

認めて欲しい?

私がやってあげてる感?

 

そんなことを思っている時に毎週月曜日に楽しみにしているしいたけ占いが私のもとに届いた。

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しいたけ占い

まさに、救われた瞬間だ。

 

なんでこんなに真面目なんだろうって思うことや

人に厳しくしすぎだなって、自己嫌悪になるけど

そんなことを続けて、正しさを振りかざしても一生自分はラクにならない。むしろ怒りに任せて誰かに当たってしまって、それを後から死ぬほど後悔することが大半だ。

 

ここでいう「無責任さ」っていうのがきっと今の私には必要で、真面目すぎる私にとってはこの「無責任さ」という少し悪意に満ちたしたたかな表現がそそられたりする。

 

何かの記事で自分の怒りを抑えるためには

なぜ怒ってしまったのか、それはどういうパターンで怒っているかを整理してみることが良いと書かれていた。

 

そうだ、そんな時はこうやって書くことで怒りを発散すればいいんだ!と何も考えずに書き始めたがこれが結構てきめんで今すごくラクな気持ちになった。

 

ちょうど6月から会社の体制変更があるのと、今月中に消化しなければならない有給がまだ7日も残っているので明日は「有給」を取ることにした。

 

人との距離感をおいたり、こうやって何かに打ち込み考えを整理することで自分の怒りを沈めることができるようになってきた。

 

どうしても、感情的になったり、気圧のせいや女性のせいにしてしまうが、自分の怒りに少しだけ寄り添ってあげることがすごく大切だし、こういう作業自体が世間一般で言われる「折れない心」を作る第一歩なのかもしれない。

 

そういえば、オフィス移転の話が舞い込んできて引越しを検討していた時に、満員電車や通勤時間の話になったのだが、

 

満員電車に乗り込む瞬間のサラリーマンの感じるストレスは、ベトナム戦争に出兵が決まった瞬間の兵士の感じるストレスと同レベルらしいです。

 

これって結構すごいことですよね。

きっとこういう気づかないストレスが私たちを蝕んでると考えると『小さな環境の変化』や『習慣の変化』を起こすことで少しだけ自分がラクになるポイントはまだまだ気づいていないだけでたくさんあるのかもしれないと大きな気づきを得ることができました。

 

今日も一日感謝を忘れず楽しくすごそう。

そして、頑張った自分を褒め称えるためにスタバの新商品を買いました(笑)

 

自分に甘い私、最高!

 

自分の弱さとの向き合い方

最近、すごくネガティブな子の相談に乗っているときに思った。

人から必要とされることって意外と悪くないと。

 

私自身もすごくネガティブで、一定の信頼を置いた人にしか心がひらけない。

その理由をじっくりと考えてみると「傷つきたくない」からだ。

 

昔から何事も完璧に正義感を持ってやらなければいけないという感情に支配されてきた幼少期を過ごしてきた。だから私は小6くらいから意識が高かったと思う。

 

自分の家が貧乏だったこともあり、服装は人から清潔感があり、安くて高く見える服を選ぶようになったのもそれがきっかけだ。とにかく普通に憧れたし、同世代の子よりは何倍も背伸びをしていたと思う。

 

しかし、一定の集団の人たちと関係性を深めなければいけない場面は苦手だ。特に組織で物事を進めるとき人とのモチベーションの違いを理解したり、自分の思い通りに行かないことがあるとすごく煩わしさを感じるし、どうしてそんなことも自分でできないのかと、人に期待をしすぎる傾向もある。

 

今となっては「まあ、いいか〜」と思えることや、他人と自分を切り分けて考えるようになったので、だいぶ楽になったが、本当に自分にも人にも期待をしすぎる性格であったと思う。

 

特にそれは恋愛面にもでる。本音を言えない、本心を言えない、自分が我慢すれば相手は変わってくれると思っていた。

 

しかし、他人はそんなに簡単には変わらないのだ。

 

私が大好きな「私、定時で帰ります。」というドラマで、主演の吉高ゆり子が口にしていたが、「人に期待をしすぎて潰してしまうほど傲慢なことはない。そして、簡単に人は変われないし、他人を変えることはできない」と。

 

この事実は、みんなが知っていることなんだけど

何十年も何世代前の人たちもきっと人間関係の課題に思っていた内容ではないかと思う。

 

依存は時に人の心を救うときがある。でも、依存される側は圧倒的な精神的余裕がないとその関係性は成り立たず、すぐに関係性を崩してしまうほどの脅威を持っている。

 

特に、その相手に対して興味や関心がない状態で依存されることは非常に苦痛である。

 

なぜなら人間は生きてるだけでたくさんの悩みや不安と隣り合わせに生きているからだ。

自分のことだけでも精一杯だし、普通に生きていれば仙人やマザーテレサでない限りそんな余裕はないはずだ。

 

他人に親切にできるほど心に余裕はない。

一方で、そんな相手の話を聞いている中で、自分の内なる感情が浄化される瞬間がある。

 

いわゆる、自分が覚えたことを人に教えている時に知識が定着するのと同じ現象だ。

 

人間は、第三者的な視点で物事をみるときは冷静に判断が下せる。一方で自分のこと、特に人間関係の面で判断をくだす時は、当たり前だがめちゃくちゃ自分に甘い。

 

特に、タチが悪いのは私のように自分に厳しいタイプの人間だ。

 

自分に厳しい分、相手にも同じレベルの苦行を求める。

 

だから結果その期待に相手が答えてくれず、自分も失望。その結果、その人の中で自分の優先順位は低いとか、自分は必要とされていないとか、予期せぬ方向にどんどん自分を追い込んでしまう。きっとこれが真面目な人たちが鬱になってしまう元凶なのかもしれない。

 

私も20代前半のころ、人との距離の掴み方や自己開示の仕方、人への頼り方がわからなくて同じようなループになんども苦しんだことはあるが、今になってだいぶ自分を呪うことは少なくなった気がする。

 

今までは、自分の弱さを認めるとか、自分を愛するとか本当にどうしたらいいんだろうと、悩みや考えを巡らせることが多かったが、今回、私に依存をしてくれている子の相談を聞いている中で、その長年の迷宮を抜け出す糸口が見つかった。

 

自分に期待をしすぎないこと、人に期待をしすぎないことは、結果的に自分を楽にする。

 

きっと平成の有識者達が口を揃えて「人には期待するな、人はそんなに簡単に変われない」と口を酸っぱくいうように、結果、自分に呪いをかけるタイプの塾考は、体にもメンタルにもよくない。

 

だから、とにかく負の感情を書き出すとか、とにかく体を動かすなど受取手のいないストレス発散方法を習得することが、自分の弱さとの向き合い方に適していると気づくことができた。

 

適度な人との距離感と適度なストレス発散方法を見いだすことは自分のQOLを非常に向上してくれる。

 

そして、強靭なメンタルを作りたいとは思わないが、一日一日を少しだけ楽しく、少しだけラクに生きることは、継続できる気がするから、自分のご機嫌を取る方法をもう少し探してみようと思った。

 

私も大人になったな〜。(褒)

 

 

メモの魔力

最近前田さん一色の日々を過ごしているが

日々大量のアウトプットを拠出している中で気づいたことがある。

※ちなみに私はメモの魔力は読んだことないです。

 

日々自分の脳みそで考えている事をメモすることって、実はすげえ大事なことなんじゃね?っということである。

 

メモの魔力の基本的な考え方は下記の内容だ。

引用元:https://toricago.hatenablog.com/entry/2018/12/31/080000

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日々自分たちがなんとなく感じていることや思っていることやアイデアを深掘りしていくことで様々な分野において知識が定着し、良いサイクルが生まれる。

 

私がブログを始めたのもそうだけど、一日に人間の脳みそって1000個以上のことを考えているんだけど、その一つ一つを書き留めるのは大変なので印象的な物を1個深掘りするだけでもだいぶ違う。

 

なんせ今、私は出版を目標にしているわけで、

誰のために、人生から自分が学んできた事を価値として提供するか。

その企画力と切り口がすごく問われている。

 

なので、日々スマホのメモで思いついたことをそのまま書き出し、後から見返して抽象化し、自分の経験に紐づいたり、そこに付随するマーケットの大きさを考えながら、どんな本を書くのか、どんな本が売れるかを考えている。

 

そしてこの作業がすごく楽しい。

今書いているブログは単純に自己満足なので、ある意味メモがわりだが、その企画段階が非常に大事だ。

 

とりあえず、100本くらい(本を書く云々はおいておいて)テーマをブレストしてみようと思う。

 

木暮さんのセミナーに行って印象に残っているのは、

有名であることも、出版社に知り合いがいることも、特別な経験をしたことも関係ない。とにかく自分の得てきた人生や経験の切り口を変えて、誰かの役に立つためのアウトプットを出すことだということ。

 

だから、今の私の中では、「何を書く」という内容だけではなく「誰のために書くのか?」がすごく重要なので、それを探求している日々を悶々と送っている。

 

振り返ってみると本を書くというのは、21歳くらいの時からの夢であり。その夢を実現するためにもう少しのところまで来ているという体感がある。

 

もっともっと自分と向き合い、このネタ作りに満ちた人生を誰かのために役立つアウトプットとして生み出したいものだ。

自分の常識は他人の非常識

あっという間に2日目突入。

GWは遊びの予定を入れすぎて大忙し。

SNSを見てると平成を降り振り返る人続出で

私もゆっくりと振り返りを行いたいと思った。

 

直近の話題でいうと『わたし、定時で帰ります。』というドラマがすごく好きだ。

 

今の会社やサラリーマンの現状、多様する価値観、全ての世代に様々な価値観が存在し、その価値観の違いに各世代それぞれのストレスが混在する現代の労働問題をわかりやすくじわじわと表現しているドラマだ。

 

このドラマを見ていて改めて思うのは、昭和から平成、令和にかけて180度働き方の理想像が変化しているという事だ。

 

昔保険の仕事を一時期やっていた時に思ったことがある。わたしの場合は、全て紹介で人に会い、人脈を広げて仕事をした結果、保険に加入してもらうような業務内容になっていたのだが、圧倒的に40代のサラリーマンからは紹介が貰えるが20代の子たちからそんなに紹介が出ない。

 

まあこれは、保険の必要性云々かんぬんの話もあるが、世代間の特徴性が大きく絡んでいると思っている。平成最後の日に、TBSの特番で歴代の金八先生の物語から世代を紐解くという企画があって、すごく納得した。

 

その中で、紹介されていた最後の内容が、『令和の学生たちに伝えたい言葉』みたいな内容だったのだが、その言葉というのは、

 

わからないことは、周りの大人に直接聞こう!

 

という、ごく普通の内容だった。

しかし、この言葉1つとってみても大きく見える印象は変わる。

 

昭和時代からすると、何言ってるんじゃボケ。そんなこと当たり前だわ!だし

平成時代からすると、仲良い先輩とか同期に聞いてみようだし、きっと令和元年周辺に社会人になる人たちからすると、直接大人に何かを聞くって結構ハードルが高いんじゃないかなって思う。

 

 

そうこれが、便利な情報社会のデメリットな訳である。今はスマホ一台で、芸能人のゴシップ検索から受験の対策、アイドルまでできてしまう時代である。

 

目的地までの地図も、美味しいお店の情報も、映画の予約も、デートコースも、恋愛のテクニックだって、ぜーんぶ調べよう思えば調べることができる時代である。

 

ある意味、どの世代も働く意欲や、やる気は変わらないと思う。しかし、情報の取り方やコミュニケーションの方法が変わった。

 

便利なスマホがない時代は、わからないことは先輩に聞くことが当たり前だったし、みんな同じスタートラインからスタート!っていうのが多かったが、いまの学生たちはそうではない。

 

情報を駆使するものが就職活動を制するというのは昔から言われていることだが、検索サイトから情報を検索する方が容易であること、また情報か多岐に渡っていることで、より、他情報の中から自分の求める解を素早く見つける力が試されている。

 

誰よりも早く情報をキャッチアップできる人はどんどん成長し、できない人たちは、取り残される。しかし、スマホが相棒となってしまっている人たちは、あえてわからないことを人に聞くことをしない。

 

なぜならエネルギーがかかるからだ。

嫌われたり、こんなことも知らないの?と思われるかもしれない恐怖や羞恥心、いわゆる変なプライドだ。

 

ある意味、情報を検索することが容易になった一方で、人とのコミュニケーションをとることへのハードルが上がってしまう。

 

これが、現代のコミュニケーションにおける歪みなのではないかと感じた。

 

結果、情報の取り方や常識が違う人たちが集まっても、コミュニケーションに齟齬が起きたり、当たり前を押し付けてくる上司と、働き方改革が浸透していない職場にギャップを感じる新人くんたちは、交わらない。

 

これもある意味、時代の変化の途中であると思う。

 

バブル時代に、身を粉にして働きづめて、稼いで派手にお金を使うことが美学の昭和世代と、いくら働いても給料は変わらず、デフレで消費行動を抑制、コスパを求め続ける若者たちは、そもそも文化が違いすぎる。異国といってもいいのかもしれない。

 

なので、そんな人たちに理解を示し歩み寄るような働きかけができるよう、狭間の世代のわたし達が社会を良くしていく必要があるなと思った。

 

転職者の9割が人間関係でやめるというのは、6回転職してきたわたしにはあまり実感がないが(笑)

 

それくらい、価値観の違う人たちが共存する労働環境には、わたし達が思うより何十倍いや何百倍のストレスが隠れているのかもしれない。

 

新卒の時に、一番最初の配属面談で、

社長に、『優秀な人材とはどういう人材だと思う?』と質問された時に、『周りに対して平等に接することができる人』という言葉を口にした。

 

すごく無愛想な顔をされて、ドキッとした思い出がある。

 

結果、わたしが一番最初に配属されたのは、志望していた部署ではなく、新卒史上初の子会社への出向だった。

 

その時の所属発表には衝撃と絶望感を感じた。結果的には、ほんとに子会社出向で良かったと思うが、自分の中でも上手く言語化できず苦い思い出となっていたが、いますごく確信がもてている。

 

こと、大きい組織で働く場合においては、一人でできることには限りがある。いかに自分自身の能力や信頼を高めながら、多くの人たちを気持ちよく動かすことができるか、効率的な仕組み化をすることができるか、それはすべて自分への振る舞い、周りへの配慮、毎日の小さな挨拶や心遣いから生まれると思う。

 

サラリーマンから成り上がりの社長にはわからなかったが、29歳となったいま、超尊敬しているSHOWROOMの社長である、前田さんも同じような持論を唱えている。

 

いつかはフリーになりたいけど、やっぱり組織で働くことが好きなので、少しでも周りの人たちが楽しく働けるような存在に自分がなれたら嬉しいなと改めて思った、令和の2日目の朝だ。

ベストセラーになる出版企画書のヒミツ

最近、そんなテーマのセミナーに参加してきた。

スピーカーは何冊もベストセラーを出している木暮さん。

 

私は漢字力がなさすぎて、「きぼさん?」と思っていたが「こぐれ」と読むらしい。

そんなことは置いておいて、そのセミナーで学んだことをアウトプットしたいと思う。

 

概要としては、出版業界においては「売れる」ということが仕組み化されていないらしい。

 

そんな仕組み化されていない出版業界で、なんども「ベストセラー」を生み出し、さらに、それをメソッド化しているのが木暮さんのすごいところだ。

 

費用は6800円それを安いか高いかと思うかはその人次第だが、私は、このセミナー6800円以上の価値があったと言っても過言ではない。

あまり木暮氏のことは知らなかったが気になる人は下記を読んでみてね。

https://matomabooks.jp/publish/

 

このセミナーに関しては、普段編集者も知らない出版業界の裏側や、売れる本のポイントや法則などが2時間にぎゅっと詰め込まれていた。

 

特に、木暮氏は、元慶應卒のエリートサラリーマンであり、リクルートサイバーエージェント出身ということで「伝えることのプロ」であり、「仕組み化のプロ」である。

 

その証拠に、朝のニュース番組やキー局で冠番組を持つほどの実力者だ。

 

これからは、先日、習った内容をアウトプットする観点で備忘録としてまとめようと思う。

 

まず大前提として、本を出版するノウハウは一般的には全く共有されていない。

 

なぜかというと編集者がめちゃくちゃ忙しいからだ。聞けば、ほぼ売れた本の分析は行なっていないという。

 

PDCAでいうAを永遠とやり続けているということだ(笑)

 

ほとんど無知な私でも、なんとなく出版社の編集者はすごい忙しいイメージがあるが、ことビジネスにおいて、PDCAサイクルを回さないなんて本当に信じられないと思うが、おそらく独特のビジネスモデルが、それをしても成り立つ業界構造を作っているんだなと考察する。これを語り始めると長くなりそうなので割愛。

 

基本的には、執筆に3ヶ月+編集に2ヶ月の時間を要するが、一番忘れてはいけないのが、執筆の前にそもそも、「企画会議」が行われるということだ。

 

いわばドラフト会議のような「企画会議」で編集者が各自に収集した本の企画書を提出して、その企画会議を通って初めて「執筆」という段階に行くとのこと。

 

また、木暮氏はこのようにも述べている。

・原稿をブログに書き留めるのはNG

・企画書を持たずに編集者に会うことはNG

・文章力がなくても本は書ける

・本をamazonで売るのはNG

電子書籍はもう流行らない

・編集者との人脈は要らない

 

結構目から鱗の連続であった。

 

そもそも「売れる本で一番大切なこと」は、

面白い本を書くことだと言っている。

 

具体的には、『ベネフィット+書く資格』

この両軸が合わさる企画が完成された時

ベストセラーの本は生まれると言っていた。

要素に分けるとこんな感じだ。

・A→Bへと変化がある

・一般的な捉え方や違う方法

・そもそも違う

・今はこうである

 

 

そしてその企画書を作成するために必要な質問は以下だ。

 

1:その本を読むことによってどういうベネフィット(変化)があるか?

2:なぜあなたが書けるのか?

3:出版の目的は何か?

 

この質問をベースにして企画書を作成することを推奨している。

例えば、A→Bへの変化というのがわかりやすいベネフィットである。

 

皆さんはタウリン1000mgというCMフレーズを知っているか?

一瞬で脳内で音声再生が繰り返されるが、タウリン1000mgと聞いて

パッと効能をイメージできる人は少ないはずだ。

 

次に「翼を授ける」これはどうだ?

その飲み物を飲んだ瞬間に翼を授けられたくらい体が軽くなるというイメージが

その一言でパッと思い浮かぶ。

 

それが木暮氏のいう「ベネフィット」である。

キャッチーでかつわかりやすいベネフィットは一番人の心や購買行動を動かす。

 

一方で、書く資格だ。

ここで、私にはそんな大それた経験や、資格などないと思われがちだが

 

人生というのは千差万別だ。

 

例えば、同じ大学に言っても選択する授業が違うように

同じレストランに言ってもオーダーする一品が違うように

千差万別の切り口や感性を持っている。

 

就職活動のエントリーシートだって、同じ大学のサークルのリーダーや、バイトリーダーをやっていたって、出てくる経験や学んだ事柄は千差万別なはずだ。その千差万別の切り口や捉え方を企画にするのだ。

 

木暮氏が売れた本の中で紹介していたのが「どんなに体が固くても開脚できる方法」という本がある。 この本は確か累計200万部売れたらしい。

 

念のために聞くが、皆さんは開脚したいと思うのか?

 

これこそが、千差万別な捉え方をした結果、面白い企画書が世に認められた証拠であると私は思う。

 

 もう一つわかりやすいのはタニタ食堂だ。

これは、体脂肪計を作っている会社の社員食堂で出されているレシピをまとめたものだが、まさにベネフィットと書く資格がガッチリと合わさったものである。

体脂肪計タニタの社員食堂 ~500kcalのまんぷく定食~

体脂肪計タニタの社員食堂 ~500kcalのまんぷく定食~

 

 

私は、今回のセミナーに参加して改めて、本を書くというのはプレゼンや商品を販売することに通ずるものだと思った。

 

日々私たちが仕事をしている中で大切にしていることと同じ法則が出版にもあり、それを仕組み化し、法則を見つけることが重要であると思った。

 

余談になるが、今回紹介したのは、セミナーの中のごく一部の話である。

興味を持ったらぜひセミナーに参加してほしい。

 

6800円の価値をみ言い出すのは改めて自分次第だと思ったので

早速企画書を書き始めようと思った。